so-syarugenkijin’s diary

健康オタク歴50年が健康方法について投稿します

心に響く言葉<06>

世の中に完全な理解はない。
 
「理解は誤解の一種」と心得る。 
世の中に完全な理解はない。「理解は誤解の一種」と心得る。 | 心に響く30の言葉

 

理解とは何か?

理解とは、

きちんと物事の意味がわかることをいいます。

 

相手の話を聞いて、納得したとき、

私たちはこう思います。

「理解した」と。

 

一見すると、普通のことで何も

変わったことはないように思えますが、

ここに意外な盲点があります。

 

実は、

相手の話を聞いて内容を理解したと思ったら、

残念ながら誤解です。

 

世の中に完全な理解はないからです。

どういうことでしょうか?

 

たとえば、悩んでいる人がいて、

相談事を聞く機会があるとします。

 

じっくり相手の話を聞いた結果、

あなたは「理解した」と思いますが、

誤解です。

 

肉体も五感も思考も、基本構造は同じでも、

厳密には多くが異なっているからです。

 

同じ風景を見ても、自分が見ている青は、

相手が見ている青とは違うかもしれない。

 

同じ仕事をしても、

自分が考えている難しさは、

相手が考えている難しさとは違うかも

しれない。

 

同じ料理を食べても、

自分が感じているおいしさは、

相手が感じているおいしさとは違うかも

しれない。

 

それは、

自分だけでなく、相手も同じこと。

 

人によって遺伝子が違えば、

体の基本構造は同じでも、

完全に同じ体つきはありません。

 

人によって生まれや育ちが違えば、

脳の基本構造は同じでも、

脳神経ネットワークのつながり方が違います。

 

五感・概念・思考は、人によって異なります。

 

限りなく

100パーセントに近い理解は存在しても、

完全な理解は存在しません。

 

「理解した」と思ったら、

どこかで誤解が生まれています。

 

つまり、理解は誤解の一種なのです。

認知のゆがみが悪いのではありません。

本来、認知のゆがみは、あるのが普通です。

 

世の中に完全な理解はありません。

「完全な理解はできないが、

できるだけ理解する」と

考えるのがいいでしょう。

 

特にコミュニケーションは、

誤解が生まれやすい場面です。

 

生まれも育ちも立場も異なる人が、

言葉によるコミュニケーションで理解するのは、

なかなか高い難易度です。

 

「コミュニケーションは誤解とすれ違いの連続」と

言っても過言ではありません。

 

どう頑張っても、

相手を100パーセント理解するのは不可能です。

 

「自分を100パーセント理解されたい」と思ったら、

いらいらの連続になって鬱状態になるでしょう。

 

自分が理解されなくても、悲しまないこと。

 

相手を理解できなくても、落ち込まないこと。

「だいたい理解されたらいい」と

考えるほうが、楽に生きられます。

 

理解不足に対して寛容になると、

少しくらいコミュニケーションがすれ違っても、

寛容でいられます。

 

そして気持ちも前向きでいられます。

 

願わくは、コミュニケーションで

生まれる誤解を楽しめるようになりたい。

 

もともと完全な理解は不可能なのですから、

発想を変えて、

いっそのこと誤解を楽しみましょう。

 

「おやおや。そんなふうに誤解されたのですね」

「変に誤解されてしまったな。

そういうこともあるよね」

 

「素晴らしい誤解が生まれた。

まあ、面白いからいいか」

 

理解されなくても、くよくよしないこと。

誤解されても、明るい気持ちになれます。

 

「理解は誤解の一種」と心得ることで、

心の器が大きくなるのです。

 

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#コミュニケーション