so-syarugenkijin’s diary

健康オタク歴50年が健康方法について投稿します

人から愛される言葉の習慣<26>

最初から完璧にできるはいない
 
最初間違えるもの
最初から完璧にできる人はいない。最初は必ず間違えるもの。 | 人から愛される30の言葉の習慣
 
校1年のころ、国語の先生に
「豆ちゃん」というあだ名の先生がいました。
 
もうおじいさんに近い年齢の、
ベテランの男性教師でした。
 
いつもにこにこしている、温和な先生でした。
 
髪の毛は1本もなく、
つるつるの頭が豆のようだったので、
自然とそういうあだ名がつきました。
 
先生には、授業中、口癖がありました。
 
生徒に「分かるかな」と質問を投げた後
「最初からこれができたら天才だ」という
口癖がありました。
 
必ず口にするので、今でも耳に残っています。
 
それは先生にとって
「間違いは誰にでもある。間違ってもいいから
勇気を持って発言しなさい」という意味でした。
 
間違いに対して寛大でした。
 
「誰でも最初は間違える。
勇気を持って自分なりの発言をしなさい。
それができれば天才だ」という意味でした。
 
人間ですから、
過ちは必ずあって当然だということでした。
 
これが先生の優しさでした。
 
事実、温和な先生で、
怒っているところを見たことがありません。
 
生徒から豆ちゃんと呼ばれても
怒らないくらいです。
 
今思えば、
なんという失礼な発言かと思いますが、
それを受け入れられるくらい、
器の大きな先生でした。
 
先生は、
生徒がどんな場違いな間違いをしても、
にこにこしています。
 
普段からにこにこしていますが、
生徒が間違って答えてもにこにこします。
 
さすが、
生徒の扱いに慣れたベテラン教師といった
感じでした。
 
先生の授業は、
不思議とリラックスした雰囲気が出ていました。
 
「間違えてはいけない」ではなく
「間違えてもいい」という雰囲気があったため、
生徒の発言が多い授業でした。
 
むしろ先生より、
生徒の発言のほうが多いくらいでした。
 
「間違えてもいい」と考えるとき、
人は活発化します。
 
国語の授業を通して、
人生哲学を教えてくれていたのです。